top of page
縦長カット.jpg

このサイトについて

少なくとも縄文時代には、私たちの先輩住人が大磯での暮らしを始め、それ以降、連綿と続いてきました。彼らの見ていた大磯を知ろうとすることで、彼らの息遣いが残る道や自然や地形をもっと愛おしく思いながら暮らすことができる、と思うのです。

そう気づいてから、大磯の自然の中に残る歴史を多くの人が身近に感じてもらえるように、先人たちが遺してくれた言葉を伝わりやすいビジュアルとともに紹介する活動をしています。 

オダギリミホ

​​

参考文献について

元となった文献は「大磯町史 8 別編 民俗(編集発行大磯町2001年)」「大磯町史民俗調査報告書1〜5(編集発行大磯町1997年他)」「大磯町文化財調査報告書第27集むかしがたり(1987年初版)」「資料室だよりvol.1No.5(大磯町立図書館郷土資料室1986年1月)」より。話者からの聞き取りは、大磯図書館・郷土資料館学芸員の方々が長年かけて行ったものです。

特に、元大磯町参事・元郷土資料館館長、佐川和裕さんは大変な知見と熱意を持って聞き取りを行なっていたことが、言葉の端々から伝わってきます。佐川さんをはじめ、これまで文献に残してくださった先輩諸氏に感謝いたします。

​以下、佐川さんの言葉を抜粋して掲載します。

 

『キツネ』の話 佐川和裕

「資料室だよりvol.1」No.5(大磯町立図書館郷土資料室1986年1月)
明治は急速な勢いで遠くなりつつある。特に生活様式の画一化により地域の特色は次第に薄らいでいる。一刻も早く記録にとどめておかなければならないのだが、焦る気持ちばかりが先にたってなかなか具体的な活動として進んでいない。まことに惜しい限りだがそれでも機会あるごとに年配の方々から話を聞くように努めている。特に昨年は寺坂地区を中心に延40人を超える方々から貴重な話をうかがうことができた。お忙しいなか、私の繰りだす稚拙な質問に丁寧なお答えをいただいた。感謝にたえない次第である。ここでは採集メモの一部を紹介し、調査をすることの意義をあらためて確認してみようと思う。(中略)

このような話は、まだまだたくさんある。
それにしても、よほど恐ろしかったのであろうか、それまでの丁寧なことばから一変し、独得な方言で、とくとくと喋りだしたときのあの真剣な表情を思い出すと、単なる迷信としてかたずけてはいけないのだろうと思う。
考えてみれば、不思議に思う出来事は、今でも私たちのまわりにたくさんある。それがキツネの仕業だとはいわないが、科学的な理屈の乏しかった当時のことを思えば、なるほどそういうふうに思ってもおかしくはない。
キツネは古くから稲作農耕との関連をもち穀霊の使者として扱われたり、田の神としての性格をもっていたりする。寺坂においても屋敷神としての稲荷に、やはりキツネの姿をみているからそれだけ人とキツネの交渉も古くからあったであろうことが想像できる。豊かな大地を背景とした、人と動物との、本来のごく自然なかかわりあいがその起源であろうか、まさに寺坂という土地や人柄を想像するには格好の資料ではないかと思う。
冒頭で、明治は遠くなりつつあると書いたが、衣食住どれをとってもその著しい相達は否定しようがない。話を聞くに従って、漠然とした感じではあるが、明治というのは「いい時代」ではなかったかと思うようになった。
特に、現在の余りある物資や、生活の慌ただしさを考えればなおさらである。しかし、明治に憧れを抱きながらも、現在の豊かな生活をすべて批判しようとは思っていない。今の生活は、過去の生活習慣をどこかで必ず引き継いでいるものだと感じることもまた多いからである。永い歴史のなかで、人々が脈々と築きあげてきた生活観念が、やはりどこかで息づいているものなのだろう。遠い時代の、既に昔話として語られているようなことが、意外と新しい時代の話のなかに混在したりしているのを見つけるとうれしいものである。」

その他、大磯での活動

大磯のかつて使われていた山道を整備して復活し、多くの町民が日常的に散策できるように活動しています。

日本の各地と同じように、明治〜昭和の初めころまでは大磯町でも「キツネにだまされた話」を多く聞くことができました。

だまされる話、不思議な話をおかしなことだねえ、と言いながらもみんなが受容していた世界だったのです。

その世界は、サンタクロースを受け入れる、子どもの世界と似ています。ここ、大磯町にサンタクロースがいる世界を創造したイラストレーションを描いています。

小字地名マップ
bottom of page