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国府本郷(馬場中丸)

であった出来事

「大磯町史 8 別編 民俗(編集発行大磯町2001年)」
「大磯町史民俗調査報告書1〜3(編集発行大磯町1997年他)」
「大磯町史民俗調査報告書3 国府の民俗3 国府本郷・国府新宿・石神台地区」
​「大磯町文化財調査報告書第27集むかしがたり(1987年初版)」
より

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馬場 大畑、西馬場の境

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中丸 西川原

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​国府本郷・国府新宿などの「国府」は、かつて「コウ」と読んだことが江戸時代に編纂された「新編相模国風土記稿」からわかっている

49 中丸・川尻広場の大蛇「大蛇を見て気を失う」

今の川尻広場になっているところは、昔はヨシの林だったんですよ。そこで実際に見たっていう、見て気を失ったっていう人がいたそうですよ。大蛇のようなのを見てね。(話者:国府本郷/大正4年生、男性)「大磯町史民俗調査報告書3/P234」

49 中丸・川尻広場の大蛇「大蛇のいる池」

あすこだあ、昔は、大蛇を見たという人はいくたりか聞いたけんどね。よく、山の下だなあ、今、公園(川尻)になってるところの東の土手下、あすこが昔、ヨシハラだったんだ。あすこにでっかい池、早くいえば水ったまりだね。いいかげんに大きい池の形で、くるりがヨシハラだったんだよ。川が流れていてオンドマリになってたから。そこに大蛇がいる、大蛇がいる。わたしは見たことなかったんだけんど、相当大きいらしいだね。大正時代だね、いくたりか、おれも見た、おれも見たって。あすこには、ふてえ(太い)のがいんからんから気をつけろって。(話者:国府本郷/明治41年生、男性)「大磯町史民俗調査報告書3」P234

50 中丸 川尻のカッパ

吉田邸の下で泳ぎをしたが、「カワシリに行くでねえぞ、深いとこいくとカッパにさらわれるぞ」とよく親に言われた。(要旨・西小磯/大正8年生まれ 女)「大磯町史民俗調査報告書4/P233」

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51 62 中丸の松林のキツネ「浜をぞろぞろ歩いていた話」

日が暮れて裏の川向こうの松林の方を見んと「あら、狐っ火だ」と。ぞろぞろ歩いている狐っ火がよく見えた。中丸の方から歩いてきたり、中丸の方へ歩いて行ったり、浜だけを歩いていた。(話者:国府新宿 原コウさん/明治32年生)「大磯町文化財調査報告書第27集​」P53

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51 中丸のキツネ 「狐っ火」(ロングビーチ)

○○さんの家は、浜の土手の上にあって、家に帰るときは、畑を通り越して帰る。そのときに、 よく、今のロングビーチのところの上の山に、 狐っ火が、ポンポン動(イゴ)いているのを見たって。 要旨(話者:中丸 紅谷寅治/昭和2年生)「大磯町文化財調査報告書第27集​」P52

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51 ムコウヤマの狐火「キツネッピ」

キツネッピだなんてね、わたし自身は見たことないけど、親とかその近所の先輩にはですね、そういう話は、しばしばありました。 ムコウヤマっていってね、今のロングビーチ(大磯ロングビーチ) になっていますけど、葛川って川がありますね。そのむこうは、昔は、わたしが子供のころは、遊び場所だったんです。葛川のね、松並木がずっとありました。その山に、狐が出て、夜、地引き網やっていると、狐が魚を取りにきたとか。キツネッピがついたとか。狐がだいぶいたことはいたらしいですね。(話者:国府本郷、大正4年生、男性)「大磯町史民俗調査報告書3」P233

51 中丸のキツネ 松山※「狐と畑のサク」

中丸は狐がいたのは、海岸ぶちの松山。 中丸では、昔から畑の麦のサクは東西につくったという。 南北にやってあるうちがあると、「オメッチは南北かよ、珍しいな」と言った。南北にサクをつくると、作物にとって日当たりはいいが、狐がサクなりに来るから。(要旨・話者:中丸)

※国府地区では地域の北に続く丘陵における雑木林のヤマと、海岸沿いのマツヤマ(松山)が分布している。(大磯町史民俗調査報告書「国府の民俗3」P57)

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52 馬場のキツネ袖切坂のキツネ」

新県道コスモ石油の角に、東に向けて坂がある(編者注/現在の、コンビニと郵便局の間の坂)。
この坂は新県道ができて一部なくなってしまったが、斜めに大きい坂で、しかも、両側ががけでおおいかぶさってしまうような感じがし、狭く荷車がやっと通ることができた。土手にはボサがでていて暗く昼間はいいが、夜遅く通ると袖をもがれるというので袖切坂と呼んだ。これは、狭く険しい坂道であったので、注意しながら通らないと木の根っ子に引っかかって取れてしまうからである。
この辺にキツネが多くいたので、キツネのしわざであるという。子供の頃、ヒューン、ヒューンと風の音がする時には、この話を思いだしかけ足で通った。また、木の根っ子に引っかかって取れたのを、誰かがつかんで取ったのではないかと思い、逃げるように小走りで通ったという。(要旨・話者:馬場)「大磯町史民俗調査報告書3」P140

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ムジナの穴とムジナ捕り

馬場のあすこに、一町歩もあんだ。それ全部、へえ荒らしちゃっておくけど。山から、畑から、みかん畑、一町歩まとまってんの。その下にね、こんなね、穴があるんだよ、ほら穴が。それはねムジナ。ムジナの穴。それで、わたしが嫁に来たてにね、この高いとこの麦時分に、男は、ほら、みんなうちへ来ちゃうでしょ。それで、わたしが一人でね、お昼、野良弁当持って、お昼食べて。
そーするとね、向こっ方の峰をね、親子連れでね、ピョンピョンと、こう跳ねてん。ちょうどね、猫よりちょっとおっきい。それからね、その昔の人が、ムジナ捕りの名人があったの。この向こうのね、川の向こっ方のうちだ。ほいで、穴のね、ところで、唐辛子をね、持ってって、唐辛子でいぶしちゃうの。そーしんと、クンクンクンクンね、やって、それでムジナが出てくんの。それでムジナ捕りしたの。それで、また、えーかげん過ぎんと、またよそから来て、その穴へ入んの。歩いてんところはねえ、ピョンピョン跳んでたのはねえ、ちょうど猫の歩き方だったね。とにかく親子の姿見て、怖くって、怖くって。一人で野良弁当して。見えないようにしゃがんで、それで野良弁当したことがある。(話者:寺坂/ 渡辺美代さん、明治35年生)「大磯町文化財調査報告書第27集​」P56

国府本郷のキツネ 「家に帰れない」

昔はいっぱい山に狐がいて、中にはばかされた人もいる。こりゃ確かだね。ただ話だけで、我々が実際に狐を見たわけでもない。 あの当時だから、親父からただ聞いただけ、ほかのその当時の年配 者から聞いた話だけのことだからね。だから、本当のことは、我々にはわからないわけよ。だから、あの当時親父の話、よく、あの、昔は地引き、夜遅くまでやってた。夜中に帰ってくるようなことがしばしばあっただよ。そうすると、うっかりすると、その中の年寄だったか、子供だったか知れねえ、そういう人たちが、どっかへ曳 きずられていっちゃったって、大騒ぎおこしたことも確かだったね。 だから、魚を喜んで食べるがゆえに、そのことを昔の人が見た。親父の時代は確かに見てるわけだね。夜遅く、魚なんかを持ち歩くと ばかされるって、これはよく起きたことだ。確かに。(「どんなふう にばかされたか聞いていませんか」)ただ、どっかへね、地引きか らうちへ帰ってこようとすると、こっちは全部昔は畑だったから、 畑の方をぐるぐる曳きずり回されたということなんだ。うちへ帰れなかった。で、おかしいというので、うちの人やぐるりの人が見にきて、やっと見つけた。そういうのは聞いてるけんどね。(話者:国府本郷/明治41年生、男性)「大磯町史民俗調査報告書3」P232

国府本郷のキツネ 「尻をまくって歩く」

そういうこと(狐にばかされたこと)もあってね。古い人から聞いてますがね。昔は着物だったから、尻まくって歩いたって。 そうらしいね。(話者:本郷、大正4年生、男性)「大磯町史民俗調査報告書3」P233

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国府本郷のキツネ 「狐はマッチを嫌う」1926年頃

自分たちが若いときには地曳きをやってたですよ。自分がまあ、 十二、三のじぶんだね。本郷のほうの親戚があるとね、魚持ってってやるに、マッチをね、懐に入れてけって。やっぱりイオウなんか、 そういうふうに言われてね。よく子どもんときに持ってったことがあんですよ。 (西小磯 大正3年生まれ 男)「大磯町史民俗調査報告書4/P231」

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国府本郷のキツネ「川へ落っこった話」

狐にね、化かされたせえのがよ、化かされただか、わたしは無我夢中だったから知らねえけんどさ。わたしがね、本郷のうちね、魚がしっかりあったからさ、親戚だもんだからね、本郷の方じゃ、浜行かねえでしょ。おいてこおせって親が言ったから、わたしが持ってっただよ。行くにゃ、そこへ無事に持ってっただよ、その魚は。ほいで、持ってったと、むこうで、「オマッチは百姓してねえから、里芋オラガにあんから、里芋持ってけ」せって、里芋もらって帰って来ただ。そしんと、その裏へね、来んとね、ちいっと牛舎のとけへ来んと眠気がさしてきたの。そうしたら、こんだね、一本橋があんだよ。そこにオイナリサンがあって。そうしたらね、ハナシだ、雨がフシブシ降って、唐傘もそけへ置いて、下駄もそけへぬいで、その川へ落っこっただよ。わたしが、子をしょって、子どもと。そうしたけんどね、怪我もなんにもしねきゃね。ほいで、みっともねえからね、いせえで帰ってきしゃって、裏道をずーと来たけんどさ。だか、あの時分には、やっぱしまだ狐がいたんだね。(話者:西小磯 鈴木ハナさん/明治35年生)「大磯町文化財調査報告書第27集​」P49

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お稲荷さんのとこ「人魂が上がる」

お稲荷さんのところで、おじいさんが亡くなったときに、ボーと上がった。 フワリフワリ上がった。ちょうど太陽があがるようだ。 (要旨・話者:国府新宿/大正2年生、男性)「大磯町史民俗調査報告書3」P235

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国府本郷「マッチを持って行け」

マッチとかお線香とか。たいていみんなマッチを持って歩いた。 そうするとばかされない。だから魚を持って、親戚やなんかへもっていこうとするとね、夜だったりすると、必ずマッチを持っていけ ということだった。わたしも生沢に親戚があったから、まだ、夕方かけて、宵の内だあと、夜になっても持っていってやったね。こりゃあ何回もあるけんど。昔は夏になると、何回も地引きやってたから、とてもたくさんもらってきて、とても食べきれないから、親戚、 近所、分配してやったわけよ。それを持ってくに、夜、魚持ってくには気をつけろ、マッチを持っていけ。狐、コンコンさんは、マッチを嫌うんだね、確かに。(話者:国府本郷/明治41年生、男性)「大磯町史民俗調査報告書3/P233」

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松林のキツネ 「魚を取られる」

ヨアミ(夜網)をして、夜、海岸で魚を分けた。自分の取り分の 魚を持って家へ帰る途中、松林の中で、狐にだまされて、魚を取られてしまった。明治五年生まれの祖父から聞いた。(要旨・話者:国府新宿、 昭和二年生、男性)「大磯町史民俗調査報告書3/P232」

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