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寺坂

であった出来事

「大磯町史 8 別編 民俗(編集発行大磯町2001年)」
「大磯町史民俗調査報告書2 国府の民俗2 月京・生沢・寺坂地区(編集発行大磯町1997年他)」「大磯町文化財調査報告書第27集むかしがたり(昭和62年初版)」
「資料室だよりvol.1」No.5(大磯町立図書館郷土資料室1986年1月 佐川和裕箸)」より

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寺坂 天神下

 

26 寺坂のキツネ 小ヶ原「狐の嫁入り」

あるだよ。わたしがね、まあ、いくつのときだんべな。ずーっと、小ヶ原のあっちから、火をつけて、ずーっと並んで、狐の嫁入りだって。チョウチンみてな、あかりを、ずーっとつけてね。十軒も二十軒も、軒数じゃ。狐の嫁入りだって。あったの。今じゃねえね、あれ、おかしいね。(話者:寺坂 須藤カメさん 明治25年生)「大磯町文化財調査報告書第27集」P53 須藤カメさんは「寺坂のカメさん」と呼ばれ、地区の役員などを歴任したり、あちこちでお話をするなど、地区の有名人だった(長女ご夫妻の話より)。

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27 寺坂のキツネ 「いいオカミさんに化けた話」

わたしのセナゴがね、狐に化かさいて。昔ぁね すぐそこにね、うちの山があるの。夕方ね、日の暮れんなんとね、女に化けてね、いいオカミさんに化けて、そこを上がるだあ。それを見たせえだから、へえ化かさいてんだ。 そんときには、狐がそばにいんだとよ。「こっち行くべ、こっち行くべ」って。今じゃ、そんなことなんにもねえの。 (話者:寺坂/須藤カメさん明治25年生)「大磯町文化財調査報告書第27集」P46

28 寺坂のキツネ 「落花生をとられた話」

なんでも、その時分には、狐がいたせったよ。 おばあさんの話ね。冬になって、暇んなって、その時分はもぐだ、落花生を。それでね、物置の軒下へ、ずーっとね、縛ってね、吊るしとくの。 そうすんと、狐がね、よくとり来たっつうの。その話は聞いたね。だか、うまいのは知ってんだよな。 狐によくとられたって。なんでも、夜、狐がとりに来たせったよ。だか、狐がいただよ。何年ごろだか知らねえけんど。(話者:寺坂 渡辺美代さん 明治35年生) 「大磯町文化財調査報告書第27集」P51

29 寺坂のキツネ 国府津・田島・沼代「山で義太夫をうんならかした話」「錠口が見つからない」

俺なんてのひいじいさんにあたるのが、やっぱり昔よ、国府津から田島、田島から沼代の方へよ、 昔のこんだから、いれんな物、小間物売り行った。 そしんとよ、むこうで日が暮れちまあだと。で、 山あ帰ってくんだと、暗くなって。そうしんとよ おな、狐がよ、「おじいさん、おじいさん、義太夫 ひとつ、一席やれよ」って。「まーたかよ」言っ て、そんでよおな、松の木の根っこがよ、いや、 いい椅子に見えちまあだと。そんで、その松の木の根っこに腰をかけて、ほんで、アケビがなんのがよ、チョウチョンに見えちまあだと。そいでよ、 おじいさんなあ、山で義太夫うんならかししゃってんせえだよ。
でよ、今んところよ、狐が一緒に来しゃって、 ほんでよ「おじいさん、うちんなけえ入っちゃいけねえ」 せったってよ。 「たーしかよ、俺んとこのうちは、ここんとこだに」せえとこ、ジョークチ が見っかんねえだと。 「おーい、おーい」。「あら、 またおじいさん狐に化かされちゃってんぞ」って よ。ほいで、出てみりゃよぉな、「こら!」せっ て。 「なんだ、オラこんなとこにいた。とーんでもねえとこで、自分のジョーグチが見っかんねえだ」へってよ。屋敷のとけえ来てんだけんど、 ジョーグチが見っかんね。ほいでよ、ほかの者が 「こら!」せえと、狐が逃げちまあ。狐がはなれちまあと、ピュっと。  (話者:寺坂 鈴木光蔵さん 大正15年生)「大磯町文化財調査報告書第27集」P50

(おじいさんが家に帰ったとき、家のなかに入ろうとしても錠(戸口)が見つからず困ったことがよくあった。オーイオーイと呼ぶ声がするので、家の者は「またおじいさんがキツネにやられてんだべ」といって戸をあけると、キツネがはなれたという。おじいさんは錠口の真前に立っていたのだが、それでいて錠口が見つからず家に入ることができなかったという。)

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寺坂のキツネ オオギバタ・オダケ・中里「狐のチョウチン」1940頃 二宮町中里扇畑地区は1980年に開発されたがその前の話

あたしゃ、狐のチョウチン見たよ。 あたしなんてが娘んときだからよ、二十歳前ぐれかな。 オオギバタの、今のね、団地ができたでしょ。中里の中央病院のオダケからむこうへ行く道の。あそこ、 昔はさみしかったの。それでね、夜、十二時ごろ 遊びから帰ってくんとね、五つぐらいよ、六つもチョウチンが並ぶの。「あれが狐のチョウチンだ」って、よく言われたことあんだ。そこは、昔さみしかったの。そこをね、チョウチンがよく通るって言うの、一度見てみてえなんて言ったら、 見たことあんの。(話者:寺坂 小早川マキさん大正9年生)「大磯町文化財調査報告書第27集」P53

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寺坂のキツネ 金目の観音さん(平塚・金目観音)・真田のお天王さん(平塚・真田神社)「そけらじゅうを連れて歩いた話」

土屋から、帰(ケエ)りに一杯(イッペエ)飲んできて、ずーっと来て、金目の観音さんへ出ちゃっただとよ。そした ら、狐がついてやがってよ。狐がついてんと、どこまでも「こっち来、こっち来」って一緒に行って、真田のお天王さんの方へ行っちまうだと。 田んぼん中へ行ってね、いつまで行っても「うちへ来ね、うちへ来ね」って。 「えー、ここいらでタバコ一服吸うべえや」って座ったらね、タバコ吸ったら、「キャンキャンキャーン」て逃げだししゃって。狐が連れて歩いてた、 そけらじゅうを。 へえタバコを吸わいちゃ、かなあねえから。気がつかいちゃったと思ってね。今じゃ、そんな者一人もねえな。狐がいねえだか、(人間が) 利口だから化かさんねだんべえよ。 そんなことがあったの。(話者:寺坂 須藤カメさん/明治25年生)「大磯町文化財調査報告書第27集」P47

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寺坂のイタチ 「おならとトラワンナ」

イタチはいるよ。イタチは今でもそこいらにちょいちょいでる。イタチは化かさねえな。あれは押えられんといけねえから、ペッと、おならをプッとくせえのしって逃げちまあだとよ。臭いですと、とても臭いですと。命が危ねえとき、おならひんですとよ。と、非常に臭いですと。イタチを捕んにゃ、トラワンナかけんだ。ワンナかけんだけど、なかなか掛からない。あいつは細いからだでね、こんな筒、ちっちゃいツポッコんなか、こういって行って、戻ってくんだとよ。やっと入るような穴入って、ちゃんとそん中戻ってくんだとよ。そんなにからだは柔らけえですと、イタチは。(話者:寺坂 須藤カメさん/明治25年生)「大磯町文化財調査報告書第27集」P54

#kitsune #folkrore #キツネに化かされた #イタチ #口承文芸

タヌキは相撲取りのようにでかくはない

タヌキも人を化かすというが、このあたりでは化がされたという話は聞かない。5~6年前、この上の池の縁に出てきた。タヌキは腹がでかいと思っていたが、そうではなく、キツネのように口が尖っていた。タヌキは相撲取りのようにでかくはなかった。(寺坂 須藤カメさん 明治25年生まれ)「資料室だよりvol.1」​No.5/1986.1

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