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であった出来事

「大磯町史 8 別編 民俗(編集発行大磯町2001年)」
大磯町史民俗調査報告書5 大磯の民俗2 大磯・東町・高麗地区(編集発行大磯町1997年他)」
「大磯町文化財調査報告書第27集むかしがたり(1987年初版)」より

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高麗山 地獄沢付近

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1 高麗のお清水さん(高麗清水バス停西側)

お清水さんは高麗山の北麓にある冷たい清水が湧き出しているところ。ここの水は飲料水として使うだけでなく、この水で目を洗うと眼病が平癒すると言われる信仰もあった(大磯町史民俗調査報告書5/P213)。このあたりは山麓で昼間でも薄暗く、南の方から来ると急に寒くなる場所でもある。冬にはお清水さんや、石切場の跡には氷が張るので、魚屋が取りに来て使った。「大磯町史民俗調査報告書5/126」

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1 お清水さん

お清水さんて、今の山下だよ。高麗山の縁を通って、あそこで車を引いた人は、みんな水を飲むとか。いい水が出るの。眼の神様だって言って、お清水さんの水を眼にあれするといいって。眼の神様だって言われた。お清水様って言って「お」をつけるくらいだから霊験あらたかだって。大勢の人が助けられたんじゃないの、みんな車引く人は、代々。(南本町 糦須海ミヨさん/明治36年生)「大磯町文化財調査報告書第27集」P25

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1 高麗のキツネ お清水さんのキツネ

繭を平塚に納めに行った帰り、魚を買って一杯ひっかけていい気分で帰って来る途中、お清水さんのところでキツネに化かされ魚を持って行かれてしまったという。(話者:不明)「大磯町史民俗調査報告書5/P109」

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1 高麗のキツネ 「タヌキやキツネに化かされた話」

このうしろの方だって、狸、狐がでるとこだったんだもの。よく、高麗山のうしろの、お清水さんのとこなんか、よく、狐がでて化かされたじゃないのよ。大磯から、お魚なんか買ってさ、売りに出縄の方へ、むこうへ行くでしょ。これで売りに行くんだもん、担いで。そいでさ狸なんか、狐なんか化かされちゃってさ。(話者:南本町 宮代フクさん/明治33年生)「大磯町文化財調査報告書第27集」P46

1 高麗山の大蛇 高麗のオシミズサン

大きな蛇がオシミズさんのところに水を飲みにおりてきたという話を聞いた。(話者:大正2年生、女性)「大磯町史民俗調査報告書5/P225」

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2 高麗のキツネ 高来神社

兄の話。高来神社の近くに年始に行って、おみやげに寿司をもらってきた。帰り道、かぶっていた帽子がたんぼの中に飛んでいって、それを取りに行ったところ、狐にまわされてしまった。おみやげにもらった寿司が泥だらけになり、中身が取られていた。(大磯/大正4年生まれ)「大磯町史民俗調査報告書5/P224」

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2 コウライジのキツネ 青木稲荷 「狐を退治した話」

昔、友右衛んさんの善さんが、こうらいじへ使いに行った時、青木稲荷の前を通り狐にとりつかれ てしまった。
善さんは家に帰り、くすぐってえ、くすぐってえと、からだをくねらせ脇の下や背中に手をやっては、くすぐったがり、げらげら笑うので、みんなが心配して、なんにもいやあしねえじゃねえかと言うと、しっかりいんだしっかりいんだ、ほらこっちだ、こんどはこっちへきた、ああくすぐってえとからだをもだえさせ、ああ畜生毛ばを取ったぞと言って、指さきで毛をつまんだふうをするので、これはたしかに狐に取りつかれてしまったのだと言うことになった。部落中の人達が心配して何とか狐を退治しようと色々と相談したあげく、わなをつくって狐をとらえようと言う事になった。二間(約4メートル) 四方ぐらいの竹のすだれのようなものを造り其の中にねずみの天ぷらをつるし狐が其れを食べると竹のすだれに押えられ狐がつかまると言う仕組みで場所は、屋敷の中のお稲荷さんの木の下が良いと言う事に決った。
いよいよ、えさをつけ、一同物かげから息をころしてうかがっていると、見事狐がかかったので一 同歓声をあげてぶち殺して喰ってしまえと、ののしり合い乍ら狐をつかまえていると、誰かが、これは権七つあんの犬じゃあねえかと言った。権七つあんはもと足軽だったそうだが明治維新の頃から大日堂(弘法様)に住んで居た人だ。成程良く見ると権七つあんが飼っている白い犬に違いがないので権七つあんの犬を殺して喰っちまったんでは悪かんべえよ、と一同言いあって其の犬を放してやった。 ところがどうして其の犬は逃げるとき、コンと言って逃げたので、一同さては化かされたかとぢだんだふんでくやしがり、今度つかまえた時には、なんにやあかまわず殺して喰ってしまおう、と言い合った事だ。(話者:波多野新次郎さん 明治21年1月7日生)「大磯町史民俗調査報告書5/P224」
鈴木昇著「大磯の今昔1」P59

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2 高麗の大蛇 高来神社

知り合いが高来神社に行ったら、緑の下の大蛇がきた跡があったという。高来神社には大蛇がいるといっていた。(明治44年生、女性)「大磯町史民俗調査報告書5/P225」

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3 高麗の大蛇 高麗山

青大将がいる家があった。それが家主だ。家主だから殺しちゃいけない。そおっと逃がしてやる。高麗山には大蛇がいただとよ、と昔話に聞いている。(大正4年生、男性)「大磯町史民俗調査報告書5/P225」

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3 高麗山の大蛇 高麗山

ある家のおふくろさんが高麗山の大きな蛇を見て、そのあと病んで亡くなったという。(明治34年生、女性)「大磯町史民俗調査報告書5/P225」

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3 19 高麗〜白岩神社の大蛇 高麗山から蛇

高麗山から白岩さんへ大きな蛇が通った。通ったあとは茅がみな倒されていた。(要旨) (西小磯 大正8年生まれ女)「大磯町史民俗調査報告書4/P232」

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4 北下町 「片葉の葦」

今のNCR(跡地)のあたりには、片葉の葦が生えていた。 要旨(北下町 内田もと子さん/昭和7年生)「大磯町文化財調査報告書第27集」P64

※敵兵に追われた徳川家康が葦の生い茂る草むらに身を隠して難を逃れた。この時追手の武士が刀で葦を切り払いながら探したため、これ以来葦の葉が片葉になった、と高麗の伝説として言い伝えられてきた(「ふるさと大磯」高橋光1983/P81)。各地に伝わる片葉の葦の伝説の一つである。

4 10 14 NCRのお稲荷さん「狐のとっ憑くオイナリサン」

狐にとっ憑くってのは、ぼんやりして、大きな声で怒鳴ったりなんかすんだよね。ほいでオガミヤが来てさ、おっ憑かせんだあね。どこの狐へったって、だいたい分かるんだよ。大磯にね、その当時はね、滄浪閣の前からバイパスがあんでしょ、あそこにね、一本松てえとこがあんだよ。あすこのオイナリサン(14)とかね。それからNCRね、あすこにもあった、オイナリサン(4)が。それともう一つはね、高田公園から千畳敷へ行く道にあんだよ。

ヤマノオイナリサン(10)てのが今でもある。だあ、オガミヤサンが来てね、拝んでさ、その人を連れて行くんだよ。アブラゲ納めて、うしろ向いちゃいけねえだ。まっつぐ帰って来なさいっていうことで一緒に帰ってくんだ。うしろ振り向くとよ、また狐が来るからよ。で、ほかにね、オイナリサンもだいたい祀ってあんだ。下町ってえことはね、漁師町に多いんだ。だけんどそういうところのお狐さんはいねえんだよ。その三ヶ所だけ。(話者:南下町 真間正太郎さん/明治41年生)「大磯町文化財調査報告書第27集」P54

狐憑き

男の人に狐が憑いた。近所にあったお稲荷さんが憑いた。 夜、アブラゲ下さいという。ありったけ下さいという。家に帰るま で六、七枚全部食べちゃた。道で食っちゃった。埼玉かどこかでとってもらったという。お稲荷さんはあらたかだから、昔もよく狐憑きがあったっていう。(話者:高麗地区 大正2年生、女性)「大磯町史民俗調査報告書5/P225」

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高麗のキツネ 平塚〜高麗山のほう 1950年頃

親戚の祭りに行ってアブラゲ寿司を貰って帰ってきた。狐がついちゃって、方角が違っちゃって、その道を来たんだけれど、どこをどう行ったか高麗山を目標にして歩ってくるんだけどもわかんなくなっちゃった。(中略) いくら行っても分かんない。だいぶ行って、止まって、そのあと狐が離れたので道が分かった。平塚市中原の祭礼に行った帰り。35歳くらいのころの体験談。そのあと、マッチを持って行くと良いといわれ、かならずマッチを持って行くようになったという。(大正4年生)「大磯町史民俗調査報告書5/P225」

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