大磯丘陵里山歩きマップのこと ①歴史の視点
- オダギリミホ
- 2021年4月9日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年8月21日
2021年4月の町広報とともに「大磯丘陵里山歩きマップ」は町内全戸配布されました。このいきさつや内容、反響などについて書き留めます。
2020年になってまもなく新型コロナウイルスの影響で小学校の休校、夫氏は自宅勤務となった。そのころは非常事態宣言、外出自粛、と、矢継ぎ早に出される耳慣れぬ言葉に、公園で遊ぶのさえ後ろめたいような息が詰まる雰囲気があった。そんな時、夫氏が在宅ワーク前の早朝に近所の裏山歩きを始めた。その道々で送ってくる写真は、もう何もかも知り尽くしてると思っていた地元の、知らない細道、魅力的な山道…。幼なじみが見たことない笑顔を転校生に見せてる時みたいなジェラシーを秘めつつ裏山散策に付き合うようになった。生まれて初めての非常事態宣言は、どこにも行ってはいけない、楽しんではいけない、と檻に入れられたような気分だったけど、足元を見たら魅力的な世界が広がっていることに気づいた、という感じ。
幼稚園のママ友と話していた時に、ディズニーランドが大好きだけど、大磯から小さい子連れで行くのは本当に大変で苦行のようだ、と言っていたことをふと思い出した。大磯にディズニーランドがあれば、今日いい天気だから行こうか!なんて気軽に行けて、楽しみだけを味わって帰ってこれるのにな、とその時思ったのでした。
裏山散策での大磯の新たな魅力を見つけた時に、その時のことが急に思い出され、大磯にもディズニーランド並みの魅力的な場所があったじゃない!と膝を打ったのです。このことを今、非常事態宣言下でディズニーランドはおろか近くの遊園地にも行けず、子どもと家に閉じこもっている親子に知らせたい!と思ったのです。
ここはどこかに繋がるかも?と適当に歩いたり、Googleマップや国土地理院の地図や古地図も見て検討つけながら獣道を繋げたりして、目で見て理解するタイプ(ビジュアル系)の私としては、自分がどこをどう歩いたか理解するため、山道マップを作り始めた。地図には木イチゴや桑の実が成るところを描き入れて、歩くのに飽きてきた我が家の9歳さんもまた楽しく歩けるようにと工夫した。

その後、郷土史の専門家にも見てもらったことでもっと地図作りが面白くなってきた。
これまで歴史に興味を持ったことがなかったけど、それは自分と関係あると思えなかったから。でも、家のすぐ近くの、田畑と山林の間の何もない道沿いに、鎌倉時代まで栄えた大寺「新楽寺」があったことを知ったことですっかり変わった。地字名から推定される寺域は驚くほど広く、鎌倉幕府の祈願所として大いに栄えたことが推察されている。でも、そんなに大きな寺院で、吾妻鏡にもその名があるのに「推察されている」というレベルでしかその詳細は分かっていない、何も残ってないのだ。それ以来、その何もないと思ってきた道を通るたびに平安時代鎌倉時代の通行人の姿を想像してゾクゾクしてしまう。山の形や窪んだ所を見ては当時の街並みを妄想してしまう。
縄文遺跡の出土地点もわかって行ってみたら、海や富士山の望める高台が多くて、「駅近」の概念のなかった縄文人にとって、景観の良さは意外に重視されたのかも!と思えて、私が縄文人ならどこに住みたいか、という視点で自分の町を見るようになったり…。おもしろい。私の人生で吾妻鏡や皇国地誌の重要性を実感することがあるとは思わなかった!
私と同じようにこの地に縁あって住み着いた、1万年や千年前の住人たちを意識しながらの散策や生活はほんと…なんていうか、次元がひとつプラスされたみたいな、目がひとつ増えたみたいな感覚。
今まで何もないと捉えていたところに、色んな意味がバンバン見えて来る感じ。
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